オールドリサーチャーの半歩遅れのコラム
前回のコラムでは、「マーケティングのパラダイムシフト」、「クライアントのリサーチ部門の名称のシフト」、「調査テーマのシフト」について述べました。今回は「調査業界を取り巻く競争環境のシフト」から始めて、「リサーチャーの‘メンタリティ’のシフト」、さらに「リサーチャーとしての基本的な心得」について述べていきたいと思います。
調査業界を取り巻く競争環境のシフト
調査業界を取り巻く環境はどのような変化を見せているのでしょうか?
テクノロジーの進化が業界への参入障壁の壁を低くしています。コンサルティング、企業戦略、ITコンサルティングからDIYサーベイまでMR業界と周りの業界との境は消えつつあります。加えて、前回述べたようにクライアントの情報ニーズは高度化、複雑化しています。クライアントが欲しいのは信頼できる情報に基づいたインサイトと戦略アドバイスです。クライアントはそのような情報を既存の調査業界から得る必要は全くないのです。一方でテクノロジーの進化はMR業界にとって脅威ではなく、更なる飛躍の機会でもあります。新しい測定対象、調査アプローチの拡張、調査対象者との今までとは違った新しい関係、さらには新しい人材を生み出すチャンスと捉えるべきと思います。
MR業界内の競争:MR業界内における変化は次のようにまとめられます。日本のMRの市場規模は約1950億円(2015年、JMRA調べ)です。最近3年間の平均成長率は2%強に過ぎません。特にインターネット調査の成長率は2010~2013年では年平均約10%であったものが2013~2015では年平均約3%に落ちてきています。MR業界の成長の鈍化は業界を再編の段階へと導きます。例を挙げると、
- 大手のシンジケートサービスの会社はシングルソースデータの獲得や従来とは違ったサービスを求めて業界内・外の会社とアライアンスを組んでいる。
- 大手のMR会社は従来の調査手法にプラスして、自社の強みを増す会社を統合したり、そのような会社に投資をしている。例えば、ニューロサイエンス、生体反応、ビッグデータ解析、ブログ・バズ解析、MROC、エスノグラフィなど。
- オンライン調査専門であった会社のうち何社かは、実査・集計だけのサービスから企画・分析サービスにも手を拡げ、さらにオフラインの定量調査や定性調査もサービスに加えるなどワンストップサービスを志向している。
- MR業界の統合が進んでいる。従来型の調査会社でUSPのないところは弱体化する。JMRAの会員社数は2009年の128社をピークに2015年には104社にまで減少。特に年商2億円以下の調査会社数は59社から36社にまで減少している。業界のトップ10社のシェアは60%程度と推測される。
サプライヤーの交渉力:MR会社のオフショアリング(企業が業務の一部もしくは全部を海外に移す)、アウトソーシング、BPO(Business Process Outsourcing)が進みます。さらにBPOからKPO(Knowledge Process Outsourcing:データ処理、プログラミング、チャート作成、レポート作成など、将来的にはAIで?)に移っていきます。このことにより、MR会社はコストや時間の競争力を高めることができ、より利益を生むサービスに資源を集中できます。海外でこのようなサービスを提供できる企業は多く、それらの企業間での競争も激しいので、サプライヤーの交渉力は強くはないし、スイッチングコストも安いのです。
新規参入の脅威あるいは代替品の脅威:JMRAによると2000年のアドホック(単発)調査のうちオンライン調査の金額シェアはわずか3%でした。2015年には50%弱まで到達しました(オンライン調査のプロジェクト単価はオフライン調査より安いので、プロジェクトベースでのシェアは70%程度になっていると思います)。かつてはオンライン調査が新規参入の脅威でしたが、オンライン調査が主流になった現在、新たな脅威が顕在化しつつあります。IT分野のコンサルティング企業の参入や新しいテクノロジーによる従来とは違うデータの提供(従来の質問してそれに答える‘アスキング型’ではなく、消費者の行動や言葉をそのまま分析する‘リスニング’型のパッシブデータの解析やビッグデータの解析など)です。代替品としてのフリーサーベイ=DIYリサーチ(Survey monkeyなど)やマイクロサーベイ(Google consumer surveyなど)も既存のMR業界にとっては脅威のひとつです。
顧客(クライアント)の交渉力:クライアントの取引条件での優位性は一層強まると考えられます。調査価格を査定するのは調査の担当部署から購買部へと移っています。購買部が発注権限を握るようになると、MR会社が持っているノウハウのコモディティ化が進むと思われます。またグローバルにビジネスを展開している企業はサプライヤー(MR会社)を減らし、数を絞ったサプライヤーとの一括契約でボリュームディスカウントを狙うと考えられます。
図表1にマイケルポーターの5Forcesのフレームを使って業界を取り巻く環境をまとめました。
リサーチャーの「メンタリティ」のシフト
図表2にリサーチャーとしての‘メンタリティ’のシフトを、「今まで」と「最近・現在」(次世代ではありません)で比べてみました。図表の左側が1970年代の筆者です(私は1972年に調査業界に入りました)。そして右側が2000年代から最近までの筆者です。
「今まで」の時代にはクライアントのニーズよりも、ともかく標本の代表性を担保した調査設計と実査管理が重要でした。調査結果の報告書も事実を客観的に記述するだけで解釈は特に必要とされませんでした。まさに「左脳」だけを働かせればよい時代で、「右脳」は求められませんでした(現在はリサーチにはサイエンスとアートが必要だとよく言われます)。このような環境で MR とは何かをキャリアのスタート時点で刷り込まれたリサーチャー(私)は調査結果から「何が必要か・何をすべきか」( What )を抽出することは何とか出来ますが、未だに「打ち手」( How )を考えることは苦手にしています。当時のリサーチャー(私)はクライアントの調査ニーズは「調査をすること」であり、「マーケティング課題の解決」であるとの意識は希薄でした。まさにマーケティングマイオピア(近視眼)でした。
現在のリサーチャーに要求されるスキルセットとして、MRやマーケティングについての理解は当然で、その上にITについての理解、マーケティング・サイエンスについての理解、消費者行動・行動経済学やエスノグラフィについての理解、さらにビジネスコンサルティングの能力が一度に求められています。しかし現実問題としてこのようなスーパーパーソンの存在は稀です(ありえません)。そこでチームとして能力を最大限発揮することが期待されます。異質な人材と知識を組み合わせ、それらをうまく‘融合’させることができるインテグレーターがいれば新しい価値が生まれるはずです。
「今まで」と「最近・現在」のギャップを埋めるキーワードを探すと、「クライアントの問題解決を、消費者を理解し、人智を結集して、スピード感を持って、プロアクティブに行う」ようになったということだと思います。
リサーチャーとしての基本的な心得
この稿では高度な統計手法を使いこなすデータサイエンティスト的な次世代型のリサーチャーではなく、アドホック(単発)調査を担当しているリサーチャーを想定しています。
図表3ではリサーチャーとしての基本的な心得を列挙しています。それぞれ自明と思いますので、特に解説は加えません。
リサーチャーが信頼性と妥当性のある調査設計をするのは当然のことですが、私が大事にしているのはプロジェクトに対するリサーチャーとしての熱意・コミットメントとクライアントに対する「サービス精神」です。クライアントにとって新しい情報(クライアントにとって役に立ちそうな新しい調査手法とか分析手法あるいはちょっとした工夫など、次に繋がりそうな情報など)を提供しようと心がけています。リサーチャーとして成長していくためには、良い刺激を与えてくれる(新しい問題意識を持たせてくれ、チャレンジさせてくれる)クライアントの存在、チャレンジングなプロジェクトを担当すること、ある程度の仕事の負荷(このタスクをいつまでに終わらせるといった)が必要と私は思っています。クライアントに気に入られ、プロジェクトが重なるようになればクライアントの商品やビジネスに一層詳しくなり、プロジェクトの関連情報もクライアントから得られ、結果としてクライアントの満足度を引き出せるのです。しかもこの経験は「複利」で効いてくるのです。
最後にダーウィンの言葉を引用します。
MR業界は従来のフレームワークの中では生きていけないのです。
「最も強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、適応できるものである」
It is not the strongest of the species that survives, not the most intelligent that survives.It is the one that is the most adaptable to change.
次回は「調査不要論」にチャレンジする予定です。